失われた○年

 過去の、今となっては中々ないエロゲーを指して「かつてエロゲーはエロがあれば何をやっても良かった」と評する人がいるけど、つまりそれは「エロがなければエロゲーとして出してはいけない(だから取りあえずはエロを仕方なく書くけど実際は自分の書きたいものを書きますよ)*1」ということでもあり、今のエロゲーに「エロがあれば何をやっても良いわけではない(やってもいいけど、それだけでは許されない{要求される})」という空気があるのは間違いなくて、そりゃあ「かつてエロゲーはエロがあれば何をやっても良かった」時代に書き手だった人たちが、「かつてエロさえあればエロゲーは何をやってもよかったから仕方なく書いていたけど、今は仕方なくエロを書く以上に、自分がやりたいこと以外のことを要求される。なら要求されない(本来自分がやりたいことをやれる)ジャンルに行くよ」と、アニメや小説に流れてしまうのは不可避だったのでは、と。
 では何故要求されるのかといえば、まず受け手(ユーザー)がエロゲーという枠組みを学習していき、次に枠組みを理解したら今度はその枠組みの中で描かれる物語に注文をつけていくようになったからだと思う。
 作り手(エロゲーメーカー)は受け手の要求に答えようとして、受け手は作り手に絶えず要求を繰り返す。そんなことを何年も繰り返していたら、額面上の数字(売上数など)が減っていることを問題にする以前に*2エロゲーというジャンルが本質的に衰退していくのも無理はないんじゃないの、と思う。作り手が受け手を育てるくらいのことをしないと、やっぱりエロゲーに未来はないのかなあ。

*1:「エロがなければエロゲーとして出してはいけない」という言い方は、今日となっては何言ってだこいつと思われることこの上ないと思うけど、現実はこうなんですよね。

*2:自分は「エロゲーの売上が減っているからエロゲーが縮小している」論はほぼ賛同していません。売上が減っているというのは表面上の現象、ただの結果に過ぎないと思うからです。問題はそこじゃないんだよ。