整合性ってそんなに必要ですか?

 ――少し前ならこんな香ばしいタイトルのエントリーなんて書かなかっただろうに、と思いつつも、ふと考えたことがあるので記録しておきます。

 結論から言ってしまえば、俺は整合性が高い作品に触れたいのではない! 面白い作品に触れたいのだ! という、この一言に尽きてしまうのだけれども、これだとさすがに誤解を招くので説明いたします。
 俺の周り(主にTL)では、度々エロゲーにおける複数ライターが取り沙汰されます。そしてそれは主観で半分以上の方々が、良しとしていません。理由は様々あると思うんですが、大きな理由の1つに複数だと整合性が心配というものが挙げられます。具体例としては、片方のライターはこのキャラをこういう性格で書いているけれども、もう片方のライターは若干違っている、といった感じでしょうか。*1
 話がここまで来ると、俺はいつもオーガストのライター陣を想起します。かのメーカー作品は、複数ライターではない作品が珍しい(というか今のところ存在しない)のですけれども、噂によれば“最終的には誰が書いたか分からないくらいに摺り合わせをする”とのこと。ただしオーガストの場合、ライターが内勤――メーカーに所属している人であるということを考慮しなければなりません。仮に、どこのメーカーも“誰が書いたか分からないくらいに摺り合わせ”をしていれば、複数ライター問題なんて議論はそもそも発生しないと思いますが、ライターは必ずしもメーカーに所属しているわけでない、ということは言うまでもない。外注ライターです。
 俺は業界人ではないので、具体的にどのような方法で、ライター同士、或いはライターとメーカーが連絡を取り合っているのか定かではありませんが、メールやスカイプなんかでやり取りすることが日常茶飯事なのだろうと、勝手に妄想しています。もしかしたら1度や2度はリアルで会って、今後はこれこれこういうふうに進めて行きましょう、というような会話をしているかもしれない。けれども、メーカー所属のライターのように、毎日顔をあわせて毎日「お前どこまで進んだ」「俺の分これくらいまで出来た、ちょっと読んで」というようなことは、おそらく出来ないはずだろうと思います。
 或いは、もしかしたら最初に大雑把な設定だけを複数人いるライターに提示して、「あなたはこの子とこの子、あなたはこっちの3人のルートを書いてください」としているのかもしれない。いずれにせよ、複数ライターを嫌ったり不安を感じる人たちは、それがこれから発売されるゲームであれば「もしかしたらキャラクターの性格等々に温度差があるかもしれない」と思うのではないか、と。発売済みのゲームであれば、仮に差があったとしたら、レビューや感想なんかで「Aというライターが書いたこの子はこういう性格だが、Bというライターが書いた同様の子は性格が若干違う!」という雑感を書いて、周りは「このゲームはライターの整合性が取れていないのか、ダメじゃないか」と思うのだろう、と。

 ここまでは前々から認識していた自身の周りの風景であり、かつ、まぁそんなもんか、と大体理解していたことです。つい先ほどまで。
 というのも、先ほどTLを眺めていましたら、上に書いたことと似たような光景を目撃したんですね。やっぱり複数ライターダメじゃないか! みたいな。で、平常運転だなー、と思ったのですが、今日はそこで終わらなかった。
 どう感じたかというと、「別にそこまで整合性っていらなくね」なんです。正確には「ガチガチギチギチ、逃げ場がないくらいに整合性を求めなくてもよくないか?」ですかね。勿論、整合性はあって困るものではありません。というか仮に整合性が全くなければ、1つの作品としてストーリーがチグハグになってしまったり、さっきまでこういう性格だったのに、個別ルートに入ってからいきなり変わった!(或いは、さっきまでプレイしていたルートにおける性格とは違う、等々)ということになってしまいます。だけれども、なんか取り憑かれたかのように――というのは言い過ぎだとしても、何につけても複数ライターだと重箱の隅をつつくように整合性について言及し、ちょっとでも違うと声を荒げて糾弾する姿勢は、果たしてどうなのだろうか、と思うわけです。
 様々なプレイ方法、感じ方がありますが、それだとまるで自分は整合性が取れている作品が正義で、整合性が少しでも違えばとことん叩く……それよりも、もっと大事なことが俺にはあるなあ、と。ここで、最初に提示した結論に辿り着きました。そして、少し前に読んだとある文章を思い出したのです。ああ、あの人が言っていたのはこういうことだったのか、と。*2

 面白さ、と一口に言っても様々なものがあると思いますが、整合性が違うだけで面白くなくなるのならば、それは元々大してそんなに面白くもなんともない話だったのでは、と……。


ディエスは果たして、何が悪かったのでしょうか。
自分は『面白くなかった』それだけが唯一で最大の罪だと思います。

もし仮に、ディエスの内容が素晴らしく面白かったら皆さんは怒ったでしょうか。
容量が少ないとか、サポートライターが存在するという理由で。 自分にはそう思えません。
そんな些事、誰も問題にしなかったのではないでしょうか。
事実、事前の情報とは内容が異なっていて、でも素晴らしく面白くて評価されているゲームは沢山あります。
ヒロイン数が少ない事ですら、だから物語に深みが増したんだとか、肯定的に許されたでしょう。
また逆に、予定より容量が多くて、ルートは沢山増えている、ライターは正田さん一人だったとしても……残念ながら、内容が今回と同レベルだったら、ユーザーの方々はやはり納得できなかったでしょう。
内容以外の点について言及していないのは上記のような理由からです。 *3

http://web.archive.org/web/20080124192922/http://www.tt.rim.or.jp/~hayakari/guchi.html

*1:ここで某作品のように、“主人公・ヒロインらの過去はルートによって変化する”といった特殊な例は除きます……俺がこんな事言うと某作品とかって書いている意味がない気がしないでもないがw

*2:実際にこの人が言いたかったのは、俺が言っていることとは違う可能性が十分にあるでしょうが、俺としては多分こうだと思っているので、これでいいのです。

*3:俺が今話題にした状況と、このゲームとの状況は当然違います。が、仮に面白ければ、そんな些事など……という主張は同じでしょう。だからふとこの文章を想起したのだと自己分析しています。