エロゲーとは基本的に

 二次創作ジャンルだと思っている。


 そこそこの数をプレイして、かつ小説とかアニメとか漫画とか映画も、まぁある程度触れたら、共通項的なものを探っていった時に、多分気付く人はいると思う。
 最近だと、エロゲをプレイしてエロゲを作る側に回りました、って人が多くなってきたけれども、昔は昔でちょっと今で言ういわゆるシナリオゲー的なものだと、大体が鍵作品に感銘を受けて自分でも、って人ばかりだったし、キャラゲーなら、Leafとかとらハとか、もちろん鍵ゲーも含めてそこら辺の作品に影響を受けて、って人たちもいたわけで。
 でもそんな中で、ごく一部の人たちは「他のジャンルで夢を叶えられそうにないからエロゲーに来た」っていうのが確実にいたんだよね。まぁ今でもいないことはないと思うけど。
 作家になりたかった、でも新人賞とか取れないので……アニメの脚本家になりたかったけれども、生き残れそうにないので、エロゲライターに……漫画家になりたかった、でも売れそうにないので絵師に……みたいな。

 そういう人達が作る作品って、わりと、エロゲ以外のジャンルでやろうとすると厳しいくらいの二次創作的なものを書いたり描いたりしていた、っていうことなんですよね。例えば、今でこそまどマギでブレイクした虚淵玄なんて、エロゲライターとしての処女作はあれ映画関係のところに訴えられかねないからな、みたいな。

 そういう意味で、エロゲーとは二次創作である、と。
 言い方を変えると、小説と漫画とアニメと映画とゲーム等々からそれぞれいろいろな要素を引っ張ってきて、時にはパクって出来上がった媒体である。
 これだけ見るとまるでエロゲーがパクリメディアかのように見えてしまいがち。まぁ否定はしない、というか出来ないわなw
 でも、逆にエロゲーを様々、数多くプレイして、自分ってこういうのが好きなんだ、って分析していくと、じゃあ仮にエロゲーから離れた時に自分は何に触れていけば良いのか、って、ある程度指針がつく場合が多いんだよね。
 つまり、エロゲーっていろいろなところから引っ張ってきているがゆえに、逆説的に、エロゲーをやることで世の中の他のメディアの諸々の要素に断片的に触れることが可能だ、という。ある程度は、その断片的な要素が、これまたうまい具合に抽出されていたりするのよね。だから、一見エロゲ→その他の媒体って遠回りであるかのように見えるけれども、その実そこまで遠回りでもない、むしろエロゲーを通すことで、その他の媒体に存在する無駄な部分が削ぎ落とされていたりとか、ってのがままあるのよね。
 俺は、エロゲーの何が好きですかって聞かれた時に、そういう部分が好きです、って答えるかなあ。


 よく、抜きゲーを馬鹿にする人とか、エロゲーにエロはいらないっていう人を見かけるんだけど、俺はもったいないと思うのね。(馬鹿にされて、憤るってことはない)
 それは、エロを楽しめないこと自体がもったいないんじゃなくて、ましてや「エロゲーからエロをとったらエロゲーじゃないじゃん!」ってのでもない(ぶっちゃけ俺はその手の議論(というほど高尚なものでもないとすら思っている)もどきのものを非常にくだらないと、最近では思いつつある)。1つのエロゲーをとってみても、様々な要素が内包されているから、自分で幅を狭めるのはもったいない。抜きゲーをプレイしている人が、官能小説に奔ったり、谷崎潤一郎の小説とかに触れて見始める、って人がいないとは限らないじゃん?
  ……と書いて、さすがにちょっと話がそれたけど、俺がこう思うのは、きっと単純に面白いものを求めているから、なんだろーなー、と。だから、エロゲーって媒体それ自体にあまりこだわりはないんですよね。ただ、少なくとも、何かしらに触れる際の取っ掛かりになっていることは間違いない。

 あ、俺にとってもエロゲーは踏み台じゃん。